泣くとすっきりすると言いますが
泣くこと
泣くとすっきりする、と言っているのを聞いたことがありますが、あれはドラマや小説の中の話、だと思うのですが、違うのでしょうか。
涙が溢れる時、それはつらくて苦しくて、それが勝手に涙となって、溢れ出すものです。少なくとも私にとってはそうです。
疲れた時
新卒で入った会社は東京でした。慣れない東京での一人暮らし。
残業が辛くて、家に帰り着いて玄関を開けて、「ああ帰ってきた」と思った瞬間に、涙が溢れました。
疲れていました。
気持ちも体も、疲れていました。
それで、安心したのでしょうか。涙が溢れて、ベッドに座り込んで、いっとき泣きました。
寂しい時
東京のアパートの私の部屋です。一人でご飯を食べている時でした。
確か何かのサラダを作って食べていたと思います。
なぜか、サラダを口に入れた途端に、涙が溢れました。美味しいからではありません、不味かったわけでもないと思います。
夕食は、実家であれば、その日あったことを両親に話したりする所です。
一人の食卓が、寂しかったのだと思います。
つらい時
比較的最近の話です。
今の仕事は楽しかったのですが、上司とあまり上手く行かず、プロジェクトも上手くいかず、行き詰まっていました。
上司に相談出来なくて、でも先方にはせっつかれ、3ヶ月ほどその状態が続いていて、でも締め切りは刻々と近づいてきます。今思えば気持ちが疲弊しきっていたのでしょう。
今のプロジェクトの事で相談させてほしい、と別の上役2人に相談を持ちかけました。
プロジェクトは始まりも曖昧に始まっていましたので、そもそものマネージメントの仕方がまずいことは、二人も理解してくださいました。
その上で、私の直属の上司に言ってみたら、と言われました。
それはそうでしょう、プロジェクトのマネージメントをしているのは直属の上司です。上役2人ではなく、まず直属の上司に相談するのが、本来なら筋です。
けれど、私はそれを言われた時、言葉が出ませんでした。
上司に相談したって、今までして来ていてこの現状が生まれているのだから、それでは何も変わらない、という絶望感。
相談した所で、また辛辣な言葉を聞かなければいけないし、一言もらう度に心に重りを付けられるような疲れるやり取りを、またしなければいけないのだという、疲弊感。
その場で「上司に相談すること自体が出来ないのです」と言いたかったけれど、けれど出てきたのは涙でした。
これは、一番私の忌み嫌う行為です。
涙を見せると、どうしたって同情を買うでしょう。
そうすると、男性社員は思うでしょう、涙で同情を買うなんて、と。泣かれたらどうしようもなくなるじゃないか、と。
そう思われたくありませんでしたし、何か目的のための手段として涙を使うなんて、ありえないことです。何より、人前で涙を見せるということをしたくありませんでした。
したくなかったのに、耐えられなかったのです。
溢れる涙を、止められなかったのです。
そこで初めて、上役2人は私の現状を、はるかに重く受け取めたようでした。
私は、自分はもうきっとここまでなのだ、と思いました。
ふとした時
何かのスイッチがあるのだと思います。
それは酷く些細なことだったりします。
でも、決まって、暖かかった過去と、今を見比べている時だと思います。
今の自分を見て、そしてこれからを考えて、もう自分はどうしようもないんじゃないかと。そんな風に思うのだと思います。
じわり、と涙が滲みます。
でも溢れなければ、まだ誤魔化すことが出来ます。私は、知らないふりをして、その気持をやり過ごそうとします。
泣くことは
ただただ、つらいだけ。
何もいいことはありません。少なくとも、私にとっては。