母になった友達に思うこと
子供
去年の正月だったか、おととしの正月だったか。
妊娠したこと・出産したことの報告を年賀状とFacebookでのみ寄越していた友達が、正月に帰省していたのでしょう、「散歩がてら子供を見せに行きたい」とメールをしてきた事がありました。
私はそれを見て、思いました。
「自分の幸せを見せびらかしに来るんだな」、と。
心の片隅では分かっています。単に、久しぶりに帰省して、久しぶりに私の事を思い出して、まだ見せたことのない娘を見せに行こうと思ってくれたのだろう、と。
でも、メールを見た瞬間に、「ああヤだな」と思いました。来ないで欲しいと思いました。
メールには、返信しませんでした。
私が今どれだけ「それらの話題」に敏感になっているか、彼女が知らないのも無理はないでしょう、昔は仲が良かった(と私が勝手に思っていただけなのでしょうが)としても、数年会っていませんし、メールや LINE のやり取りもありません。
年賀状が返って来ないことで察してくれだなんて、虫のいい話です。
でも、「それらの話題」を嬉々として話に来るのだろう“ともだち”に会う気にはなれませんでしたし、何より、それを祝ってやれない自分に心底呆れたし、嫌悪しました。
自分の器の小ささ、融通の効かなさには、ほとほと嫌になります。
でも、やっぱり、会いたくありませんでした。
比較的近しい知人・友人の結婚・出産を Facebook で知るだけで、その日は涙が止まらなくなるような日々でした。会えばどうなるのだか、想像もしたくありません。
一人で生きること
最近、一人で生きることについて考えます。
そういう道もある、と書いたコラムを読んで、自分もそうなるんだろうな、と思います。
以前、伯母に言われた事があります。
「一人は寂しいわよ」と。
そうだろうな、と思います。
一人で生きる人生とは、きっと想像するよりも更に寂しくて、孤独で、侘しい人生なのだろうなと思います。