今年もあの季節がやってくる
年末年始
何かと行事の多い年末年始が近づいて来ました。
クリスマス。餅つき。大晦日。正月。
昔は家族の集まる行事に胸を踊らせていました。
いつかの正月
あれはいつだったでしょうか。
朝が早い仕事に就いていた時でした。
子供を連れた兄と姉が帰省している年末年始でした。
兄夫婦は公務員をしていて、比較的休みに融通が効くらしく、1週間程は実家に居ました。
夜は毎日どんちゃん騒ぎ。
私は1月3日から仕事で、疲れて帰ってきて、それに付き合う余力もなく、22時過ぎには就寝します。
その時の仕事は私が嫌悪すると言ってもいい内容の仕事で、給与だけ見て面接に行ったことが本当に悔やまれます。毎日好きでもない、ややもすれば嫌いな仕事をして、体力的にも精神的にもストレスの溜まる仕事でした。
朝5時過ぎに起きて、洗濯物を干すのが私の家での割り振られた仕事でしたので、洗濯物を干します。休暇で遅くまで飲んでいて、今はぐっすり眠っている人たちの冷たい洗濯物を、これから仕事に行く私が寒い中干していきます。
流石にこれは堪えました。
涙が出そうになって、でも家事をしながらまだ外が暗い内から一人泣くなんて、それこそ惨めで、がんばって我慢しました。
私の情弱さには本当に、自分で笑ってしまうほどです。
年末年始がつらくなったのは、あの頃くらいからだったかもしれません。
去年の正月
去年は、兄と姉の夫婦に加えて、弟が新婚ほやほやで奥さんを連れて帰省しました。
その時、弟の奥さんのお腹に子供が居ることも知りました。
私は仕事はしていましたが、独り身の実家暮らしでしたので、大層肩身の狭い思いをしました。
私の家族や親戚は明るい人が多く、適齢期に結婚・出産している人が多い。
母も例に漏れず、27で結婚して30前で第一子を出産しています。
アラサーで独り身、他の兄弟が全て結婚して子供の居る中に、独り、皿洗いや家事に徹する私の気持ちなどには、母や兄弟は気にも留めていませんでした。
それを理解してもらおうとしない私も悪いのです。
けれど、どんな顔でそれを言えると言うんでしょう。
独り身で子供の世話をしなくていい私が家事をして動き回るのが、健全な家族の中では当然でしょう。それが出来なければ、そんな事もしてくれないのか、と言われるでしょうし、実際、あんたがしなさいと言われました。
それはいいのです。母は大勢の客のために料理を作り、右へ左へ動き回っています。実家に置いてもらっている身としては、手伝わないという選択肢はありません。
けれど、「あんたは子供が居ないんだから」という態度が、なかなかどうして、堪えたのです。その通りなんですけども。
兄弟やその相方や両親が、小さな子ども達の相手をして笑い合っているのを、台所から一人眺めるのが、どうしようもなく、辛かったのです。惨めに思えて仕方が無かったのです。
それに、そんなことを理解してくれなんて言おうものなら、情けなくて、あんまり惨めで、涙が出そうになる情弱な私に説明など出来るはずもなかった。
母が居間に弟の結婚式の写真を飾った時に、もう涙が出そうになりながら、でもそんな素振りを見せないよう努力して、
「圧力を感じるからやめて」
と訴えるのが精一杯でした。
年末年始、私は仕事を理由にして部屋に閉じこもることが多くなっていました。実際、年末に終わる予定の仕事が終わっていなくて、仕事が残っていたのは事実でした。良い口実になりました。
兄の奥さんはいい人で、本当にいい人で、しきりに私を初詣や近場の観光地へ行かないかと誘ってくれます。
出来た人だなと思いました。年末年始に仕事をしている私に気を使ってくれていたのでしょう。
けれど私は仕事を理由に、一緒に外出することはありませんでした。
幸せそうな家族を見るのが、辛かったのです。
いつから、どうして
いつから、こんなに根暗になったんでしょう。
いつから、周りの状況をマイナスにネガティブに考えるようになったんでしょう。
どうして、兄弟の中で私だけなんでしょう。
どうして、兄弟の中で私だけ一人、こんなに性格が捻じ曲がってしまったんでしょう。
考え始めると止まりません。
自分がまるで奴隷か何かになったような気さえしました。
来年の年末年始は、絶対に独りになろうと決めました。
一人暮らし
今夏から一人暮らしを始めました。
今年の年末年始は、実家に帰るつもりはありません。
幸せな家族を見なくて済むし、あの惨めな思いをしなくて済むでしょう。
その代わり、何もないクリスマス、餅つきをしない年末、一人で観る紅白、御節を食べない正月。
きっと惨めな気持ちになるのは一緒なんでしょう。
どちらが良かったのかなんて、分かりません。
今年の年末年始を乗り切れるのか、私の不安の材料はいつだって絶えないのです。
子供が欲しかった、なんて
子供はかわいい
子供が大好きというわけではないですが、兄や姉の子供たちはやっぱりかわいい。
独り身であることを自覚する内、「子供が欲しい」と思うようになりました。相手もいないのに、本当にお笑い草です。
でも、心の内ではそうやって笑っているくせに、大型ショッピングモールなどで小さな子どもを連れた同年代の人々を見るにつけ、
私もあのくらいの子供が居てもおかしくないんだな、とか。
自分の子供。無条件で自分を必要としてくれる存在、信頼してくれる存在、とはどのようなものだろうか、とか。
自分の子供を腕に抱く日が、私に来るのだろうか、とか。
そんな風に考えるようになりました。
子供が欲しい
そりゃあ、大変なことは多いでしょう。人間一人を育てるのだから、簡単なはずはないと思います。近くに住む姉を見ていると、本当に子供を育てるというのは凄まじい努力のなせる技なのだな、と思います。
私になんて、到底成し得る所業ではないように思えます。
それなのに、生物としての本能なんでしょうか。厄介なものです。
子供が欲しいと思ってしまう。
私に子供を持てる日が来るだなんて、到底信じられませんけれども。
全部無駄だった
ドイツで知り合った御年70の、子供を持たない独身女性の言葉が思い起こされます。
「生理も色々大変だったけど、全部無駄になっちゃったわね」
多分、私はこの言葉を忘れることは出来ないでしょう。
私もそうなるのだろうか、とずっと不安を抱えたまま、これからも生きていくのでしょう。
まず、Facebookを見るのがつらくなった
Facebookってこんなだっけ
本来は、海外の友達と連絡を取ったり近況を知るためのツールとして、Facebookに登録しました。
30の呼び声が聞こえて来る頃、同級生や友達が結婚した、出産した、という投稿を目にするようになってから、段々とFacebookを開くのが億劫になってきました。
もともと3・4日に1回くらいで、そんなに頻繁にFacebookを開くわけではありませんでした。けれど数日に1度Facebookを開く度に、知り合いの幸せそうな報告が不意をついて飛び込んで来るのです。
どうしても、
「じゃあ、自分は?」
と考えてしまうようになりました。
他人の幸せそうな写真を、最初はいいなーという特に変わりない気持ちだったのに、それがいつの頃からか、その報告や写真を見る度に、ズシン、と心が重くなるのです。
親友の結婚、そして出産
小学校からの親友、そして大学での親友、と立て続けに結婚式に出席しました。それ自体はとても喜ばしいことでしたし、結婚式では心から祝福しました。
その、はず、だったんですけれども。
正月、年賀状で、その二人が妊娠した事を知りました。
その、衝撃たるや。
自分でも驚いた程、衝撃を受けてしまったのをよく覚えています。
なぜあそこまで衝撃を受けたのか。今でもよく分かりません。きっと、焦りに近いものだったのだろうと思います。
でも、1つには。
なんでハガキでの報告なんだろう。
というのがあったように思います。
親友と思ってたのは、私だけだったんだな、と。最初は結婚しましたの年賀状、その次の年は妊娠しましたの年賀状。
正月で兄と姉夫婦が子供連れで帰省し、慌ただしく、そして奴隷のように家事手伝いをしていた当時無職の私を軽くひねりつぶすくらいの衝撃はあったのです。
もともと筆まめではありませんでしたが、2年連続で年賀状は返しませんでした。
さすがに、その次の年に年賀状を送ってくることはありませんでした。
出産の報告もFacebookだった
今はそれが普通なのでしょうか。
出産の報告も、Facebookの投稿を見て知りました。
あ、そうなんだ、と。
きっと私は、直接連絡が欲しかったのでしょう。自分の器の小ささにはほとほと呆れてしまいます。
私にとっては数少ない親友でも、彼女たちにとっては、大勢いる親友の内の一人でしかないのだと分かって、がっかりしたのもあるかもしれません。
こんなみみっちいことを言っているから行き遅れるんだな、と。
分かっているつもりでも、寂しくて、焦燥は大きくなるばかりで、ただただ一人で泣くことしか出来なかったのです。
運が悪ければ夜寝られない
以前、久しぶりにFacebookを開いた時のこと。後輩の妊娠出産の投稿が目に飛び込んできました。
美人で、溌剌と発言する賢い人でした。
Facebookを開いたことを猛烈に後悔しながら、すぐに閉じました。
その夜、眠ろうと布団に入ると頭に浮かぶのはこの先の将来の不安ばかり。
自分はきっとこの先、ずっと一人で生きていくんだろうな、とか。
誰にも看取られずに、一人で死ぬんだろうな、とか。
役所の人が来て、適当に火葬されて、無縁仏になるのかな、とか。
それなら、死にたいと思ってる今死んだ方が幸せなんじゃないだろうか、とか。
今なら、葬儀も出してもらえるだろうし、少なくとも両親は泣いてくれるだろうし、とか。
両親の死に目に合わずに済む。でも、両親より先に死ぬなんて、なんて親不孝なんだろう、とか。
考え出すと、止まりません。
自然と涙が出てきます。
その頃は働いていましたので、次の日は仕事です。はやく眠らないと次の日に響きます。
けれど、涙が止まらないので、鼻をかんで、目を冷やして、布団に入って、でも涙は自然と出てきて。また鼻をかんで、目を冷やして。
そんなことの繰り返し。
今では、ほとんどFacebookは開きません。
迷走の記録をつけてみる
今時珍しくもない、フツーの人です
三十路過ぎ、行き遅れの人生を、なんとなく綴るブログです。
4人兄弟の3番目、兄弟はみんな結婚して子持ちです。自分何やってんだろ、と思いながら、とりあえず自分を生かすことに必死な日々。
日本は、生きにくい。