親孝行
どうやら
孫の顔は見せてあげられそうにありませんので。
外食のお代くらい。
ちょっと奮発した誕生日プレゼントくらい。
させてください。
これは私から出来る少ない親孝行の一つなのです。
ささやかな
秋に旅行に行きます。自分への誕生日プレゼントです。
そう母に言うと、「自分で自分に贈るの?」と言われました。
誰もプレゼントなんてくれないのだから、自分でするしかないのです。
あまりに惨めな気持ちで、その言葉は飲み込みました。
私は本当に
生きるの向いてないな、と思います。
自分はこんなふうには
死ねないだろうな、と
親族の通夜・葬式に行きました。
人望のあった人のようです。初老の男性の方です。
多くの人が参列してくださいました。
出棺の時、息子さんが覆いかぶさるように泣いていました。多くの方が「がんばったね」「ゆっくり休んでね」と声を掛けていました。
火葬の炉の前で、お孫さんまで皆さん泣いて炉の前から中々動こうとしませんでした。
骨を拾う時、皆さんがとても無念そうにお骨を眺めていました。
自分はこんなふうには死ねないだろうな、と。
そう思いながら見ていました。
私の時は、ごくごく近い身内のみの、小さな小さな葬式が良いな、と思いながら見ていました。
いけるんじゃないかな、と
消えられそう、と思いました
台所に行って、柳包丁で一突きじゃないの、と。
心臓は、肋骨が邪魔らしいので。
お腹と、首と、心臓なら。いけるんじゃないかな、と。
起きた瞬間に
最近、眠りから覚めた瞬間に。
ああ、「死」とはこういうものかな、と。思います。
何も、無い。思考も、何も。
同時に思います。
来た所に、帰るだけだ、と。
そう思うと、心のつかえが少し取れます。
人間は、
人間は1人では生きられないのでしょうか。
寂しい。つらい。苦しい。
………助けて、ほしい。
死ぬ準備
死ぬ準備は出来ているか
よく分かりません。
消えたいとは思います。つまらない人生でした。
でも、じゃあ、もし明日両親が交通事故で死んだら、私は後を追えるだろうか、と。考えました。
やり残したことは、たくさんあります。
もっとこうしたかったと思うことも、たくさんあります。
でも、自分が自分である以上、実現出来るものではないと諦めています。多分、生まれ変わっても、自分が自分のままならば、ずっと実現出来ないでしょう。
生きているのがつらい。
自分が嫌い。
折に触れて、消えたくなる自分が嫌い。
自分が嫌いな自分が、嫌い。
だから、多分、消えた方がいいのだと思います。
私は和を乱す存在でしかありません。
消えない理由がありません。
そうして、和を乱すつまらない人間でも、悩んで悩んで、でも出来なかったからそうするしか無かったのだと、少しでも知ってもらえたら。
そう、思うのに。
死ぬ準備が出来ているか。
そう考えると、よく分かりません。
目の前に、30分で息を止めてくれる薬があって、飲んでいいよ、と言われたら。私は素直に飲めるでしょうか。
安楽死について
安楽死についての番組を見ました。
スイスで、自殺幇助をしてくれる団体の話でした。
今から死のうと言う人に、薬が手渡されます。5分で眠りにつき、30分で呼吸が止まる薬だそうです。ベッドの上の老婆が、それを手に取り、自分で飲みました。
怖い、と思いました。
そう思ったことに、落胆しました。
自分はまだ、生に何を期待しているのだろう、と。
母になった友達に思うこと
子供
去年の正月だったか、おととしの正月だったか。
妊娠したこと・出産したことの報告を年賀状とFacebookでのみ寄越していた友達が、正月に帰省していたのでしょう、「散歩がてら子供を見せに行きたい」とメールをしてきた事がありました。
私はそれを見て、思いました。
「自分の幸せを見せびらかしに来るんだな」、と。
心の片隅では分かっています。単に、久しぶりに帰省して、久しぶりに私の事を思い出して、まだ見せたことのない娘を見せに行こうと思ってくれたのだろう、と。
でも、メールを見た瞬間に、「ああヤだな」と思いました。来ないで欲しいと思いました。
メールには、返信しませんでした。
私が今どれだけ「それらの話題」に敏感になっているか、彼女が知らないのも無理はないでしょう、昔は仲が良かった(と私が勝手に思っていただけなのでしょうが)としても、数年会っていませんし、メールや LINE のやり取りもありません。
年賀状が返って来ないことで察してくれだなんて、虫のいい話です。
でも、「それらの話題」を嬉々として話に来るのだろう“ともだち”に会う気にはなれませんでしたし、何より、それを祝ってやれない自分に心底呆れたし、嫌悪しました。
自分の器の小ささ、融通の効かなさには、ほとほと嫌になります。
でも、やっぱり、会いたくありませんでした。
比較的近しい知人・友人の結婚・出産を Facebook で知るだけで、その日は涙が止まらなくなるような日々でした。会えばどうなるのだか、想像もしたくありません。
一人で生きること
最近、一人で生きることについて考えます。
そういう道もある、と書いたコラムを読んで、自分もそうなるんだろうな、と思います。
以前、伯母に言われた事があります。
「一人は寂しいわよ」と。
そうだろうな、と思います。
一人で生きる人生とは、きっと想像するよりも更に寂しくて、孤独で、侘しい人生なのだろうなと思います。
居場所
居場所が欲しい
居場所を探して彷徨っているのです。
居場所が欲しい。
自分が居てもいいと思える、居場所が。
自分を受け入れてくれる、居場所が。
でも、そんな場所はないと知っています。
自分が自分であることが悪いのです。
どこに行ったって、何があったって、結局はそこに居るのは自分です。自分が自分である限り、居場所が見つかるはずがないのです。
知っています。
けれど、探してしまうのです。
どこか、自分が居てもいいと心から思える居場所。
そんな場所はあるはずがないのですけれど。
命を
人に、命をあげる方法はないのでしょうか。
本当に、勿体無いと思います。
貧乏性ですので、精神を除けば、そこそこ健康な体を燃してしまうのは勿体無いと思うのです。中身を欲しい人がきっと居るだろうと思いますので、合法的に体を安楽死させてくれて、合法的に中身を他の人にあげられるような、そんな方法はないものでしょうか。
あったら、どんなにか素敵だと思うのですが。
みんな喜びます。
困っている人も、この世から消えたい人も、みんな喜びます。
死ぬ権利、があってもいいと思うのです。
笑ってください。
こんな事で都度死にたくなる私を。
生きるのは、疲れる
疲れました。生きるの、みなさん疲れないのでしょうか。
すごいと思います。
私はもう疲れて、早くリタイアしたい。
報われない努力をすることが、とても辛い。疲れるのです。期待を裏切られるのに、疲れたのです。
期待をしてしまう私が嫌い。
期待が裏切られる度に死にたくなる自分が嫌い。
消えたい。
ごみのような
こんなゴミ屑のような私は、これからも報われない努力をして、疲れ果てると分かっている道を歩くしかありません。
ずっと一人で、歩いていくしかありません。
これから先は、いずれ両親だっていなくなって、本当の本当に逃げ道のない、一人の道を、いつ終わるとも知れない道を、歩いていくんでしょうか。
それが分かっていて、これからも生きていくんでしょうか。
消えたい。
両親より先に死ぬ不孝を考えると、涙が溢れます。
でも、やはり、私には生きることは難しすぎて、向いていないようなのです。